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人と交わることの辛さ面白さ

私は人付き合いが苦手だ。
どのくらいダメかというと、たとえば学生時代に書店でアルバイトしようとしたとき、三日目に熱が出たくらいダメだ。

書店のアルバイトは「人付き合い」の得手不得手の基準にはならないかも知れない。
けれども、とにかく接客業には絶対に就けない。そう自覚できる程度には、私は人と付き合うのが苦手なのだ。

ひと月ちょっと前から、マーケティングという部署で働いている。
自分としてはある意味、人生初のチャレンジだった。
このチャンスを逃したら、この手のシゴトをする機会は一生訪れないだろうと思ったから、試してみたのだ。

案の定――というか、案に相違して、というべきか――マーケティングという部署での仕事は、なかなかに辛かった。

仕事の内容は、大したことはない。転部の面接のときにマーケティング部のマネジャーから説明を受けたとおり、自分にとっては難しくない仕事ばかりだった。一部、非常に辛い部分もあったが、慣れればクリアできそうな仕事だった。
(ちなみにその『仕事の辛い部分』は、いまだに慣れていないし、クリアできてもいない。)

ところが、私個人の心身の健康は、どんどん悪化していった。

夜は眠れない。休日も休んだ気がしない。昼間、職場にいるときはひっきりなしに頭痛がする。通勤時、騒いだり泣いたりする子供を見かけただけでイライラする。

とにかく、生活の全般にわたって、嫌なことだらけだったのだ。

これ――すなわちマーケティングの仕事――は、やはり私には向いていないのかも知れない。…

幸い、マーケティング部のマネジャーは気さくで話しやすい人だ。世間によくある出たきり上司のように、多忙すぎてほとんど席にいない、などということもない。
彼女は、電話していることは多いが、会議以外のときはおおむね席に着いてPCに向かっていらっしゃる。

私はマネジャーに相談してみた。
「私にはこの部署の仕事は無理だと思います。
元の部署に戻していただくというわけにはいかないでしょうか…」

マネジャーは私の思いつめた様子を見て、何かを感じたのだろう。可及的速やかに処理しよう、と約束してくれた。彼女は言った。
「一週間、我慢できますか?」

そしてマネジャーが回答をくれるまで、私は一週間待たされた。

けれども一週間経っても、マネジャーは何も言ってはこなかった。
それは月曜日だったが、マネジャーは私と目が合うと、視線を逸らすのだった。

(やっぱり無理か…)
そもそも私自身が希望して業務部からマーケティング部に転部させてもらったのである。「こちらの部署での仕事がダメだったから、やっぱり元の仕事に戻りたい」というのは、いくら何でも虫が良すぎるかと思われた。

いま思い返せば、マネジャーに自分の希望を話して、回答をくれるという約束の日までの一週間は、自分にとって「どん底」だった。

体調は悪く、何一つ手に付かない。夜は眠れず休日も休んだ気がしない。気晴らしをしようとしてもお金がなく、出かけるのも億劫だ。何を食べても砂を噛むようにまずくて、味を感じなかった。

けれども、人間というのは面白いもので、「落ち込む」ということも、あまり長く続けると、そのうち飽きてしまうものらしい。

私は、落ち込むことに飽きた。

手近な友人として、漫画家のN先生が相談に乗ってくれた。
N先生が「何か書いてみたら」とおっしゃるので、私は絵を描いてみた。

描けた。

気を良くした私は、ネームも作ってみた。

作れた。しかも三本。

思い返せば、マーケティング部に移ってからというもの、ずっと気を張り詰めていて、絵など描く余裕がなかった。もう二度と絵が描けないような気さえしていたのだ。

だから、自分の中で、何か描きたい気持ちが溜まっていたのだと思う。

さて、マネジャーからの回答を一週間待たされて、私は「やはり再度の転部は無理なのか」と、少し諦めの境地に至った。

「もうマーケティング部に居るしかないのか」
そう諦めてみると、別の考えが湧いた。

かくなる上は、会社を辞めるか、それともここに留まるかだ。

会社を辞めるのは、「論外」というほどではないが、とにかく先立つものに不自由する。ハローワーク通いも良いだろうが、次の職場を見つけられるまで貯金が持つかどうか怪しい。金銭的な理由のため、自分の気持ち的に、さらに落ち込む可能性もある。

ではマーケティング部での仕事を続けるとして…
絵が描けないとか、同人誌の原稿が進まないとか、気晴らしができないとか。
そういったことは、自分で解決すべき問題なのだ。マネジャーに言って何かどうかできる問題ではない。

私は、通勤電車の中で座っている間、ノートを広げてネームを作ってみた。

できた。

少なくとも、某路線の電車の中で座っていられる20分の間、描ける時間はフルに使えることがわかった。

こうして、個人的な問題が一つクリアできると、次々に問題が片付いてきた。
マーケティング部の仕事にも、少し慣れてきた。

そして、木曜日。マネジャーが再び面談してくれた。
彼女の上司と、業務部のマネジャーと業務部の上司、その三者に話をつけるために手間取ったのだそうだ。

彼女からの回答は、こうだ。
「業務部に戻りたいなら他部署に話をつけて調整する事ができる。
マーケティング部内に留まるならアナタがやりやすいような仕事を創る」

私は、こんなに有能かつ部下の希望を聞いて動いてくれる上司に出会ったことはない。初めてかも知れない。

彼女の下でなら、これからも頑張れそうな気がした。
「私はマーケティング部に骨を埋めようと思います。」

私はマネジャーに向かってそう言った。
というわけで、私はいまココにいる。

何か事を起こそうとするとき、頼るべきは人だ。
問題にぶち当たったとき、問題の原因になるのは人付き合いかも知れないが、問題解決の糸口を与えてくれるのも、また人だ。

人の中に生きるかぎり、人と付き合わないわけにはいかない。
けれども、問題に立ち向かうとき、自分自身が前向きに努力するならば、きっと誰かが助けてくれる。

だから、人付き合いは、意外に面白い。

マーケティング部に移って、いろいろなことを学んだが、また一つ学んだ気がした次第である。

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マザラン枢機卿どの!

 先月、社内でマーケティング部のマネジャーの面接を受け、今月からマーケティング部の所属になった。
 そして三週間が経った。

 業務部の仕事が嫌だったわけではない。
 いや、思い返せば嫌なことは少々あったのだけれども、まあ普通に仕事を続けていけるレベルだった。

 業務部の仕事は撮影と査定だった。
 撮影班では、私はだいたい靴の撮影をさせられた。
 サンダルやパンプスは楽なのだが、ブーツは面倒で時間がかかるし、男物の靴は重くて嫌だった。

 査定班での仕事は、嫌いではなかった。
 けれども査定の仕事では、触る品物は全てお客様の物だ。
 汚してはいけない。壊してはいけない。もちろん紛失してもいけない。
 しかし、最初から汚れたものを送ってよこすお客様もいる。
 壊れたものを送ってよこすお客様もいる。
 買い取りできないものばかり送ってよこすお客様もいる。

 そんなことは我慢できるとしても。

 査定の仕事にとりかかる前に自分の席まで重い段ボール箱を運ばなくてはならない。
 査定が終わったら再び段ボール箱を運ばなくてはならない。
 これが結構こたえた。
 これで腰を痛めた友人が何人もいる。私自身、幾度も指を捻挫している。

 また、個人的なことだが、私は非常な暑がりだ。
 そして、査定の仕事をする部屋は、あまり冷房が効かない。
 夏は――というか初夏から秋にかけては――朝から汗だくだ。
 とくに、コートや革ジャン、男物のスーツといった重アパレルや、重い鞄などを査定すると、腕は疲れるし汗びっしょりになるしで、辛かった。

 とにかく、そんなこんなで、業務部の仕事が少々嫌になってしまった。
 だから、試みにマーケティング部の面接を受けた。
 そして面接に合格したので、今は私はマーケティング部にいる。

 マーケティング部に転部したはいいが、会社の中では最低ランクに逆戻りだ。
 せっかく時給が上がったところだったのに、時給は最低ランクに戻った。
 懐が寂しくなり、常にお金がない状態になった。

 業務部ではあと一歩で最高ランクに昇進できたのだが、マーケティング部では新人と同じ扱いだ。
 一から仕事を習わなくてはならない。
 屈辱的とまでは言わないが、小学校一年生に戻ったような気分だ。

 そして、マーケティング部の仕事は複雑怪奇だった。
 とくに、PCに多少詳しい者でなくては絶対に研修について行けない感じだ。
 頭が痛くなった。

 そういうわけで、めでたく転部できたのは良いのだが、問題がなくなったわけではない。
 お金がなくて、プライドがズタズタにされて、頭が痛くなるのである。
 仕事上、人と絡む部分が多いので、神経も使う。

 研修は二週間で終わったのだが、実戦に投入されてからも、何か曰く言い難い不快さは残っている。

 私はマーケティング部の仕事に向いていないのかもしれない。

 いや、業務部に比べれば天国のように体は楽なのだ。
 業務部に比べれば「え?これが仕事?」と思うほど仕事は簡単なのだ。
 けれども。
 何となく不安で、苦しいのだ。

 多分、あと二週間も経てば、もう少し慣れて不安も少なくなるだろう。
 そうは思っても、やはり今は不安なのだ。非常に不安なのだ。

 さて。
 私は持ち前の性格のせいか、なかなか気分転換ができない。

 近所に買い物に行っても、図書館に行っても、凝った料理を作っても、気持ちが切り替わらない。
 心の中では会社のことを思い出して憂鬱になる。
 PCに向かい、原稿など書いていても気分転換にはならない。
 むしろ、会社のことを思い出すと原稿が手に付かなくなって、最悪だ。

 昨日たまたま、SNSを見ていて、ある展覧会の記事に遭遇した。
 すでに夕刻だったが、着の身着のままコートをひっかけて外出し、その展覧会を見に行った。

 入場無料の展覧会だが、展示内容が特殊であるせいか、人気はなく、ゆっくり見られた。
 それは、フロンドの乱の頃――ルイ十四世の即位直後の頃に起きた6年にわたる内乱の時期だが――に、フランスで出版された本などを紹介し展示する展覧会だった。場所は駒場だ。

 展示は非常に面白かった。
 いや、興味のない人にとってはどうでもいいものなのだろうが、私にとっては非常に興味深かった。

 静かな展示会場に流れるバロック音楽。
 心が和んだ。
 仕事のことは忘れられないが、何かが、どうでもよくなった。

 私は昔、16世紀~17世紀のフランスに関して学び研究し、本を読みまくった時期がある。
 そうした過去が全て思い起こされた。
 いろいろな理由があって研究者になる道からはドロップアウトしたのだが、今でもフランス文学やフランス語は好きだ。

 論語に言う「学んで時に習う、亦よろこばしからずや」とは、こういうコトなのかな、と思った次第である。
 

 以上のようなわけで、見てきた展覧会のチラシがこちらです。


東西の「女王」

巷ではどうだか知らないが、私の周辺では『真田丸』が流行っている。少なくともツイッター上では大流行りである。

その『真田丸』の登場人物の一人、「茶々」こと淀君を見ていて、ふと気づいた。
茶々って、誰かに似ている。いや竹内結子がではなくて、歴史上の人物「淀君」が、もう一人の歴史上の人物に似ている、ということなのだが――

考えていて、昨日ようやく思い出した。淀君は、クレオパトラ、古代エジプト三千年の歴史に幕を引いた最後の女王クレオパトラ七世に似ているのだ。

クレオパトラが古代エジプトの女王なら、淀君もまた大阪城の女主人だ。
女王同士、似ているのは当然かも知れない。

クレオパトラはプトレマイオス十二世の長女として生まれた。いっぽう淀君――茶々は浅井長政の長女、大名の姫君として生まれた。

クレオパトラは七歳年下の弟であるプトレマイオス十三世の妻になっている。(後に、もう一人の弟プトレマイオス十四世の妻になった。)この辺は古代エジプトという国柄と時代のせいなので致し方ない。

両者が似ているのはこの後だ。
クレオパトラはローマ帝国の将軍カエサルの愛人になった。そして茶々は豊臣秀吉の側室になっている。自ら望んだことかどうかはともかくとして、いずれも当代随一の英雄の愛人になっているわけだ。

クレオパトラの妹のアルシノエ四世は、プトレマイオス十三世の政治の道具にされてアレクサンドリアの女王となり、クレオパトラと敵対した。いっぽう茶々の妹のお江(お江与)は徳川二代将軍秀忠の妻になっている。

クレオパトラはエジプトの女王として返り咲いたのちアルシノエ四世を処刑した。かたや日本では、お江与の舅である徳川家康が大坂の陣で豊臣家を滅ぼし、茶々は大阪城を枕に自害して果てている。
どちらが勝ったか負けたかはともかくとして、いずれも姉妹同士で敵味方になったわけだ。

クレオパトラはカエサルの死後も息子のカエサリオン(プトレマイオス十五世)を擁して守り通した。いっぽう茶々も豊臣秀吉の息子秀頼を守って運命を共にしている。

いずれも「姫君」として生まれた人である。国や政治の犠牲になって、あるいは自ら進んで政治の駒となって運命に翻弄されるのは、世の常かも知れない。

けれども、「淀君って誰かに似てるなあ。誰だろう」と考えて、フッと「クレオパトラ七世」が思い浮かんだ。そのあたり、やはり両者は姫君だという以上に、もっと他に何らかの共通点があったような気がしてならないのだが、いかがだろう。

Pharaohs_Cleopatra_b.jpg

まんが脳と文章脳



 先日、「コミックマーケット90」「コミティア117」と、二週続けてイベントに参加してまいりました。
 私はイベントに参加申し込みをするとき、基本的に自分一人で店番をするつもりでおります。
 けれども何故か(ありがたいことに)いつも誰かしら売り子として手伝ってくださる方が現れます。
 先日のイベントは二回とも漫画家のN先生にお世話になりました。

 イベントが終わってから、N先生は同人誌のつくり方について悩んでおられたようです。
 すなわち、同人誌の本のつくり方として、「絵と文章の割合はどのくらいが良いのか」ということです。

 私は、同人誌を作るときは、「漫画本」「文章ばかりの本」と分けて作っていました。
 けれども、N先生の場合は、同人誌を作るとき、漫画の間に解説文を挿入したくなるのだそうです。その漫画と、解説文のページ数の割合がどのくらいになっていれば読み手の人が最も喜んでくださるのか。そういうことでN先生は悩んでおられたようです。

 読み手と作り手は表裏一体だと思います。作り手は同時に読み手でもあります。

 私は漫画を読むときは、漫画だけ読みたい。絵だけ見ていたいので、解説文などは、むしろ邪魔だと感じます。漫画本に付けられる解説は必要最低限で良いと思います。だから、N先生にそう言いました。

 けれども、N先生は、どうやら漫画を読んでいる最中にも、ときどき解説文、すなわち文字ばかりのページを読みたくなるようです。彼女は、おそらく、同人誌を作るための資料の本を読んでいる最中にも、文章の合間に挿絵や漫画が挟まっていても問題なく見て楽しめるのでしょう。

 その辺は、書き手がどうとか読み手がどうとかいう問題ではなく、個々人の脳みそのつくりの問題のような気がします。

 正確かどうか知りませんが、言語を司る脳は左側にあり、絵を見たり感じたりする脳は右側にあるのだそうです。そして、男性は脳梁が細いので言葉と感情を分離させやすく、女性は脳梁が太いので喋りながら喜怒哀楽の表現をすることが容易なのだと考えられます。

 私は6年前、たまたまMRIを撮ることがあったので、自分の脳の断面写真を見たことがあります。他の人の写真が並んで展示されていた中で、ひときわ変な写真でした。左右の脳の大きさが明らかに違っており、脳梁が異常に細いのです。

 私は喋りながら歩くことができません。ラジオを聴きながら絵を描くことができません。翻訳をしている日は、漫画を描くことができません。
 私にとって、漫画を描く脳と、言葉を司る脳は、それぞれ別々にしか働かせることができないのです。

 だから、私の作る同人誌は、言葉と絵を別々に感じたり味わったりする人にとっては読みやすいものなのでしょう。

 逆に、N先生の描かれる同人誌は、言葉から絵、漫画から文章へ容易に移行することができる人にとっては面白く読めるのでしょう。

 だから、文章が多めの本を作るか、漫画が多めの本を作るか――その辺の割合は、あまり問題ではないように思われるのです。

 本は一つのデータです。絵のデータを見たいときは絵だけ見ればよろしい。文書のデータが必要なときは、文章を読めばよろしい。私はそんな風に思います。

 本の内容が、主に文章で書かれているか、それとも主に絵で描かれているか。そうした表現の種類は、その本を買うかどうかを決定する重要な要素の一つです。そのことは否定しません。けれども、さらにもっと大切なことは、その本に、読み手にとって好ましい内容が詰まっているかどうかだと思います。本を手に取って、それを買うか買わないか決めるうえでは、それが最も重要なことだと私は思うのですがいかがでしょう。

Poster_Medjed.jpg

↑ちうわけで、N先生がイベントのために作ってくださったポスターです。

コップの中

 昨年秋11月から、都内某所でアルバイトをしている。
 「都内」とは言っても東京湾に面した埠頭の倉庫の一角だ。だから通勤などは、かなり不便だ。
 ともあれ、そのアルバイト先で、どうにかこうにか4ヶ月働いている。

 最初は右も左も分からないから辛かった。配属された部署(仮に部署Aとする)で、入社後2週間目にガイダンスを受けた。それから同じ部署内で、いろいろな仕事に回された。
 「いろいろな仕事」と当時は思ったものだが、基本的に写真を撮る仕事だ。商品ごとに撮り方の決まりがあって、その決まりを覚えるのが面倒なだけだ。覚えてしまえば、どうということはない。

 撮影に慣れた頃に、昇級試験ではないが、手間のかかることを一つ覚えさせられた。撮る対象に関してレポートすることだ。商品ごとに、特徴やコンディションの良し悪しを手短に説明するメモを残すのだ。
 これは、少々面倒だった。けれども、これも覚えれば、まあまあ楽しいものだ。

 そうして3ヶ月ぐらい経った1月下旬ごろ。今度は本当に昇級試験だ。「ステップアップ」と称して、別の部署Bに行って、研修を受けるのだ。
 それまでは商品の写真を撮るだけだったが、こんどは商品そのものについての知識を持つことがメインの業務になった。研修とはいえ、仕事の一部なので、それなりに厳しい。

 部署Bの仕事内容は、おおまかに言えば、外部から入ってくる品物を「買える」品物と「買えない」品物とに分け、「買える」品物に関しては値段を付ける。すなわち、「査定」と呼ばれる業務だ。これが、あんがい難しい。

 最初からこちらの部署Bに居る人間にとっては、大したことではないのだろう。しかし、こちとら3か月間、部署Aで撮影の仕事ばかりしていた人間だ。部署Aでの業務に慣れて、多少、のほほんとしていたところに、部署Bでの、この研修は厳しいものに思われた。

 研修の始まりは「座学」と称してテキストを与えられ、査定の練習をさせられる。一通り覚えた頃に試験がある。「試験」とは言っても、テキストに書かれた内容を覚えればパスできる。だから、厳しいようで意外に易しい。

 さてその「座学」を終えてからが、研修の本番である。実際に会社の外部から入ってきた品物を査定するのだ。研修とはいえ、これは仕事なのだ。
 これが、非常に厳しい。

 何といっても仕事で扱う品物は会社の商品ではない。会社の商品になる以前の、お客様の物なのだ。だから、作業に少しでも漏れや間違いや取りこぼしがあってはならない。

 いま、この段階に私はいる。

 毎日が辛い。
 覚えたはずのことができない。忘れる。不注意で間違える。上長の人から注意されてばかりだ。
 役に立つ仕事など何ひとつできていないような気がする。自分がものすごい馬鹿のように思える。仕事の最中に涙がこみ上げてきて、いたたまれなくなる。

 けれども、思い起こせば、この会社でアルバイトを始めてからというもの、辛くなかった日のほうが少ない。毎日、それなりに辛いのだ。

 振り返れば、部署Aの仕事は楽だったな、と思う。部署Bでの最初の研修は簡単だったな、と思う。しかし、それは今だから言えることであって、当時の自分にとっては難しく、辛いことばかりだったのだ。

 会社の仕事は辛いことが多い。仕事だから、ある意味当然なのだが、それに耐えられなくて辞めていく人も大勢いる。
 けれども会社を辞めていった人たちを「根性なし」と馬鹿にする気には、なれない。
 どの部署だって、入り始めは多分、辛いのだ。私だって部署Aにいたときも、ずっと辛かった。
 いま部署Bに居る自分自身が、明日になると、やはりすべてが嫌になってこの会社を辞めるかも知れないのだ。

 しかし翻って考えるに、会社の仕事が何故に辛いのかというと、仕事の向こうにお客様が存在するからなのではないだろうか。
 会社はそれぞれ世間とつながっている。世間と会社との間で利害があるから、会社法人としては会社内部に圧力をかけて、世間様との間がうまくいくよう、折り合いをつけていかなくてはならないのだ。

 個人としては、会社が嫌なら辞めればよい。けれども、会社の外は大海原だ。自分一人で何か個人商店を始めるなり、個人的にコネと才能があって仕事をもらえるのでないならば、また別の会社に入って働き始めなくてはならない。

 世間が大海原ならば、会社の中はさしずめ小さな水槽の中のようなものだ。水槽はプールのように大きいかコップのように小さいか。水槽の中には淡水が入っているか塩水が入っているか、魚が多いか少ないか。コップの中にはミジンコが沢山いるかいないか。そうしたことは、水槽によって、コップによって、様々あることだろう。

 ともあれ、何にせよ大海原に比べれば、そこはある意味、安全なコップの中だ。どんなに激しい波風があろうとも、コップの中にいる限りは――コップが壊れたりしない限りは――それなりに安全なのだ。

 というわけで、このコップの中の居心地がとうてい耐えられないと思われるまで、この中で頑張ろうと思う。
 部署Aだろうと部署Bだろうと、すべては、コップの中の出来事なのだから。
プロフィール

Templeton

Author:Templeton
ペンネーム:高杉ナツメ。

大学ではフランス文学を専攻、
サークル活動は漫画研究会に
所属していた。

漫画と古代エジプトを愛する。

同人誌即売会には、
サークル名「Studio KODAI」
(スタジオコダイ)で出店。

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