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若い人は、あたふたと。

Priority(プライオリティ)という言葉、ご存知ですか?

 SNSで知り合いになった漫画好きの友人がいます。どこの国だか知らないけれどイスラム教徒の女学生です。
 つい先日のことですが、彼女がツイッターの友人に向かって『返信するのが遅くてゴメンナサイ』と謝るかたわら、別のツイートで『今週の私、ツイッターばかりやってる…』と呟いているのを見ました。
 新しい学校に新しい生活。新しくできた友人は大切。昔の友人にも不義理をしたくない。そしてもちろん勉強も大事。
 …いかにも忙しそうです。

 彼女のような若い人に限らず、私たちは毎日、毎時毎分毎秒のように、いろいろな決断を迫られています。

 「今それをすべきか?」
 「それは急いで今しなくてはならないのか」
 「勉強しなくちゃいけないのに、友人と遊んでいる場合ではないだろう」
 「でもこの友人は今自分にとって大切な人だ。この人に嫌われたくない」

 若い人は、貧乏な人ほど忙しくて、学生ならさらに輪をかけて忙しくて、やることが多くて、でも遊びたくて…毎日そんな感じで、多くの選択肢の中で迷いながら生きていると思います。

 でも、結局のところ、人間は誰でも一度に一つのことしかできません。だから、その時その時で「今いちばんしたいこと」「今一番大切だと思うコト」を選んで、選んで決断しながら生きています。
 けれども恐ろしいことに、そうした日々の、ほとんど無意識のうちに自分がやっている細かな決断の一つ一つが積み重なって、その結果として、意外と大きな出来事が、将来の自分の身の上に降りかかってくるのです。

 大きな決断って、結婚相手を選んだり、就職先を決める時のように、ゆっくり「まとめて考えている」のではないと思います。
 実は、「毎日すこしずつやっている」こと、自分の小さな行動の積み重ねが、どんどん自分の未来を作っていくんです。

 私は昔とある外資系の会社に10年間勤務していましたが、その会社で最初に教わった一番大事なことは「プライオリティ」ということでした。
「優先順位」ですよね。常に優先順位を考えて行動すること。

 「プライオリティ」…「今一番自分が優先してしなくてはならないコト」
 これ、意識しているとしていないとで、人生がすごく違ってくると思います。
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文学フリマ金沢出展します!


気が付けばブログを更新しないまま1年以上たっていました。
このブログを見に来てくださっている皆さま、どうもスイマセン。

fc2ブログは広告スペースが煩くないから気に入っているのですが、
更新するのがちょっと面倒なのがアレですね。

それはともかく。

ツイッターではもののついでに宣伝していますが、ツイッターは鍵垢なので…
こちらにも宣伝すべきだなとようやく気付きまして。

遅ればせながら「第四回文学フリマ金沢」出展しますのでお品書きを載せておきます。
(文学フリマ金沢のWebカタログと同じ内容ですスイマセン。)

「第四回文学フリマ金沢」は2018年5月27日(日)金沢市武蔵町14-31 ITビジネスプラザ武蔵6F にて開催されます。金沢駅から徒歩15分ぐらいのところにあるデパート「めいてつエムザ」の裏口から入ってエレベーターに乗ると入れます。

  ―――――
もっと知りたい☆古代エジプトの人々

王、王妃、大臣など、古代エジプトの気になる人々を時代順にご紹介。たとえばツタンカーメンの妃アンケスエンアメン、セティ二世に仕えた後サプタハを王位に就けた宰相バイ、エジプトが四分五裂した動乱の時代にアッシリアの王から「テーベ王」と呼ばれた稀代の大政治家メンチュエムハトなど、興味深いエジプト人を短い文で紹介しています。

書籍|A5/24ページ/200円

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カデシュの戦い

戦争の一部始終が詳しく知られているうえに国際条約まで結ばれた世界最古の戦争の記録をご存知ですか?
 古代エジプトのファラオの中でも「大王」と呼ばれたラメセス二世は、即位後間もない頃、ヒッタイト連合軍を相手に戦っています。ヒッタイト連合軍は偽の情報を流してうまくエジプト軍を欺きました。罠に嵌ったラメセス二世は、一時は敵軍の中に僅かな手勢と共に取り残され孤立したものの、危機的状況から奇跡的に立ち直りました。そして、最終的にヒッタイトとエジプトは和平条約を結ぶに至るのです。
 そのカデシュの戦いの記録を、学術書から和訳してみました。紀元前13世紀の戦です。武器は戦車と弓矢、楯に槍と原始的ですが、戦略や戦術に関しては、こんなに古い時代とは思えないほど巧妙です。古代の戦いの様子がうかがわれて面白いですよ!

書籍|A5/52ページ/400円

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戦国anthology

2016年のNHK大河ドラマが何だったか覚えておいでですか?
 皆さまご記憶に新しいことと思いますが『真田丸』です!
『戦国anthology』は、同人誌即売会に集う「歴史部」ことFrontierの面々が『真田丸』と同時代の戦国大名を題材に描いた漫画アンソロジーです。Frontier代表で漫画家の西川かおり氏と同じく漫画家の高枝景水氏による「歴史創作」をテーマにした一連の対談は、特に読みごたえがあっておススメです!
 ちなみに不肖Studio KODAI(ペンネーム:高杉ナツメ)も漫画『玄姫・その愛と流転』で参加しております。

書籍|B5/58ページ/600円

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エジプトとヌビア

古代エジプトは何故あんなに富み栄えていたと思いますか?
 エジプトは南の隣国ヌビア(現在のスーダン)から黄金や黒檀や象牙、豹の毛皮など南方の国で産出する資源を奪い取り続けていたんですよ。
 エジプトとスーダンの関係は、たとえて言うならドラえもんのジャイアンとのび太のようです。古代エジプトの3千年にわたる王国時代にエジプトの富を下支えしていたのがヌビアでした。ヌビアにはクシュ王国という国があったのですが、大国エジプトの前では、半べそをかきながら黄金や傭兵を差し出す弱小国家でしかなかったのです。しかしエジプト王国が国家として滅亡し古代ローマの属国になった頃、スーダンにはメロエ王国が栄えています。メロエ王国は、エジプト王国が消滅した後も数百年間エジプト文化の名残をとどめていたのです。
 古代エジプトの歴史を知るうえでスーダンの存在は無視できません。なにしろ古代エジプトが最も栄えていた時代、エジプトの南半分を統治する「副王」は、強大な権力を持つ行政官であると同時にヌビアの統治者でもあったのですから。
『エジプトトヌビア』は、大英博物館が出版しているパンフレットを丸ごと一冊翻訳したものです。地図や挿絵は他の本を見て描いたものもあります。

書籍|A5/104ページ/600円

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記憶をなくした門番のはなし

エジプトの神「メジェド様」をご存知ですか?
 黄泉の王オシリス神に刃向かう敵を撃つ強い力を持つ神…ということですが、メジェド様に関しては、実は非常にわずかなことしか知られていません。
『記憶をなくした門番のはなし』は、記憶を失って現代日本をさまよい歩く神メジェド様の小さな冒険を描いた薄い漫画本です。
書籍|A5/8ページ/300円

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イスラエル石碑

旧約聖書の『出エジプト記』をご存知ですか?
 ちょっとご年配の方ならチャールトン・ヘストン主演の映画『十戒』で出てきた話――エジプト王女の養子として育てられたユダヤ人モーセがエジプトから逃げ出してイスラエル人の指導者になる話ですよ――と言えばお分かりになるかも知れません。
 聖書という書物は世界中で読まれている大ベストセラーでありながら、歴史的文献としては甚だ不完全です。いっぽうエジプト人は古くから裁判記録であれ公文書であれ、文書記録を残すことが大好きな人々でしたので、エジプト人の残した記録を読むとエジプトが関わった国々の歴史が明らかになることが多々あります。
 というわけで『イスラエル石碑』とは何かと言いますと、エジプト王メルエンプタハが残した記念碑の一つです。内容を要約すると「メルエンプタハ王は諸外国に対して勝利を収めた。王様万歳」という意味のことが書かれています。それがどうして『イスラエル石碑』なのかというと、今のところ発見されている古代エジプトの記録文書の中で唯一「イスラエル」という地名が出てくるから、こう呼ばれているのです。
 聖書だけを読んでいると「杖が蛇になった」だの「海が二つに割れた」だの、モーセの物語は作り話のように感じられるでしょう。そもそも古代のイスラエル王国は一度滅ぼされていますから、ソロモン以前のイスラエル王国は本当に実在したかどうかさえも疑われて仕方のないところでした。けれども、エジプトのメルエンプタハ王の残した記念碑のお陰でイスラエルという土地が当時実在したことが証明されたのです。
 文献としては、そうした歴史的意義があるという以外に取り立てて面白い点はありませんが、「イスラエル石碑にはこういうことが書いてある」程度のことは知っておいて損はないかも知れません。

書籍|A5/20ページ/200円

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蛇王様と私

副題は『難破した船乗りの話』。古くから知られた物語です。ある船乗りの男が嵐に遭って無人島に流れ着き、そこで大蛇に出会った後、数か月後にエジプトの船がその島を訪れて救助されるというお話です。
 元の物語は古代エジプトの中王国時代(紀元前2000年頃)に成立したようです。エジプトの文献としてはパピルスに記されたものが幾つか世界のあちこちに存在します。日本語にも翻訳されていて学術書みたいな本で出版されていますので、探せば手軽に読めます。けれどもそれらは現代の私たちが読んで面白いとは思えない本ばかりでしたので、英語などで書かれたものを参考にして漫画を描きました。漫画ですから少し脚色も入っていますが、読んでいただければ、ほぼ原作のお話のとおりに書かれていると感じていただけると思います。
 ちなみに文学的価値としては、物語が「入れ子構造」になっていることが興味深いです。まず、エジプトの船団を率いる遠征隊長である司令官が落ち込んでいるので、彼を慰めるために補佐官が物語を始めます。補佐官は、若い頃に船乗りをしていて無人島に漂着したことがありました。その漂着した先で彼の出会った大蛇が、大蛇自身の身の上話を語ります。というわけで、この物語は三層構造になっています。
 この物語の主人公は難破した船乗りですが、メインのお話の主人公は大蛇であるとも言えます。
 賢くて親切な「蛇王様」の物語です。魅力的な大蛇(笑)を是非ご覧ください。

書籍|B5/20ページ/200円

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ファラオ時代のファラオ

古代エジプトの王様って、何人ぐらいいると思いますか?
 実は、正確に何人のファラオがいたのか誰にも分りません。そもそも第一王朝の最初の王様は「メネス」というらしい。けれど、ギリシャ語でメネスと呼ばれる人が、エジプトのナルメル王なのかホル=アハ王なのか、その辺からすでに分からないんです。第二王朝も、正確に何人の王が君臨したのか分かりません。というのも名前が紛らわしい人が何人かいて、一人は途中で改名しています。あと二人は同じような名前なので、同一人物なのかそれとも同じ人が改名したのか分かりません。初期王朝の頃は、政治的に不安定だったらしく、詳しいことは何も知られていないのです。
 第七王朝・第八王朝も、何人の王が統治したのかなど、詳しいことは何も知られていません。第十三・第十四王朝の王たちは多くの名前が伝わっていますが、各々何をした人なのかとなると、よくわからない王たちが沢山います。
 古代エジプトの王は「ホルス名」「誕生名」「即位名」など、各々複数の名前を持っていることが、問題をややこしくします。同じ文献に二つの名前が並べて書かれていれば話は簡単です。けれども古い記念碑には王の肖像の前に一つしか名前が書かれていなかったりします。別々の記念碑に別々の名前が書かれていた場合、ほぼ同時代で他の資料がなかった場合、それは二人の王なのか、それとも一人の王の二つの名前が別々に書かれているのか調べるのは困難です。
 そういったわけで「古代エジプトのファラオの辞書」的なものを作るのは絶望的に無理だというのはお分かりいただけたと思います。けれどもそんなことは承知の上で、私は古代エジプトのファラオの名前が全部入った辞書が欲しかったのです。そこで、名前が知られている王を時代順に並べて、何をした人なのか分る程度に簡単な紹介文を付けてみました。巻末に索引を付けましたので「この人は古代エジプトの王らしいけど、どの時代の人?」と思ったときにサッと調べるのに便利です。
 古代エジプトの王様の名前を聞くとつい調べたくなるあなたにお勧めの一冊です。(笑)

書籍|A5/148ページ/900円

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プタハホテプの教訓

古代エジプトの役人は一般に「書記」と呼ばれましたが、彼らは文字の読み書きができるだけでなく、高い教養を身につけたインテリであり、見た目も清潔で礼儀作法を弁え、振る舞いが洗練されているため、周辺諸国の人々から非常に尊敬されました。
 古代エジプトの書記の教育程度の高さは、第五王朝時代にはすでにかなりの水準にありました。高級官僚の地位にあった人々は自分の跡を継ぐ息子のために、宮廷での礼儀作法や年長の人々の前でどのように振舞うべきかなど、こまごまと書き残しています。そうした文書は『教訓文学』と呼ばれました。教訓文学は、学校や神殿などの教育機関で読み継がれ、書き写されるだけでなく、各時代に次々と新たな『教訓』が書かれて、紀元前1500年頃には古代エジプト文学の一つのジャンルとして確立されています。『プタハホテプの教訓』は、その教訓文学の最も古いバージョンの一つで、ほぼ全文が残されている稀有な例です。
 とはいえ、『プタハホテプの教訓』は、子供に読ませるための教育的な意図をもって書かれた説教集ですから、読んでいてあまり面白くはないかも知れません。けれども、古代エジプトの人々がどういった行動を正しいと感じ、若者は年長者の前でどのように振舞うのが良いと考えられたのかなど、現代の私たちが読んでも参考にすべき点は多々あると思います。何よりも紀元前2400年頃という昔の時代に、宮廷での行儀作法や道徳を説いた指南書が書かれているということ自体、非常にスゴイことだと思いませんか?

書籍|A5/20ページ/150円

人と交わることの辛さ面白さ

私は人付き合いが苦手だ。
どのくらいダメかというと、たとえば学生時代に書店でアルバイトしようとしたとき、三日目に熱が出たくらいダメだ。

書店のアルバイトは「人付き合い」の得手不得手の基準にはならないかも知れない。
けれども、とにかく接客業には絶対に就けない。そう自覚できる程度には、私は人と付き合うのが苦手なのだ。

ひと月ちょっと前から、マーケティングという部署で働いている。
自分としてはある意味、人生初のチャレンジだった。
このチャンスを逃したら、この手のシゴトをする機会は一生訪れないだろうと思ったから、試してみたのだ。

案の定――というか、案に相違して、というべきか――マーケティングという部署での仕事は、なかなかに辛かった。

仕事の内容は、大したことはない。転部の面接のときにマーケティング部のマネジャーから説明を受けたとおり、自分にとっては難しくない仕事ばかりだった。一部、非常に辛い部分もあったが、慣れればクリアできそうな仕事だった。
(ちなみにその『仕事の辛い部分』は、いまだに慣れていないし、クリアできてもいない。)

ところが、私個人の心身の健康は、どんどん悪化していった。

夜は眠れない。休日も休んだ気がしない。昼間、職場にいるときはひっきりなしに頭痛がする。通勤時、騒いだり泣いたりする子供を見かけただけでイライラする。

とにかく、生活の全般にわたって、嫌なことだらけだったのだ。

これ――すなわちマーケティングの仕事――は、やはり私には向いていないのかも知れない。…

幸い、マーケティング部のマネジャーは気さくで話しやすい人だ。世間によくある出たきり上司のように、多忙すぎてほとんど席にいない、などということもない。
彼女は、電話していることは多いが、会議以外のときはおおむね席に着いてPCに向かっていらっしゃる。

私はマネジャーに相談してみた。
「私にはこの部署の仕事は無理だと思います。
元の部署に戻していただくというわけにはいかないでしょうか…」

マネジャーは私の思いつめた様子を見て、何かを感じたのだろう。可及的速やかに処理しよう、と約束してくれた。彼女は言った。
「一週間、我慢できますか?」

そしてマネジャーが回答をくれるまで、私は一週間待たされた。

けれども一週間経っても、マネジャーは何も言ってはこなかった。
それは月曜日だったが、マネジャーは私と目が合うと、視線を逸らすのだった。

(やっぱり無理か…)
そもそも私自身が希望して業務部からマーケティング部に転部させてもらったのである。「こちらの部署での仕事がダメだったから、やっぱり元の仕事に戻りたい」というのは、いくら何でも虫が良すぎるかと思われた。

いま思い返せば、マネジャーに自分の希望を話して、回答をくれるという約束の日までの一週間は、自分にとって「どん底」だった。

体調は悪く、何一つ手に付かない。夜は眠れず休日も休んだ気がしない。気晴らしをしようとしてもお金がなく、出かけるのも億劫だ。何を食べても砂を噛むようにまずくて、味を感じなかった。

けれども、人間というのは面白いもので、「落ち込む」ということも、あまり長く続けると、そのうち飽きてしまうものらしい。

私は、落ち込むことに飽きた。

手近な友人として、漫画家のN先生が相談に乗ってくれた。
N先生が「何か書いてみたら」とおっしゃるので、私は絵を描いてみた。

描けた。

気を良くした私は、ネームも作ってみた。

作れた。しかも三本。

思い返せば、マーケティング部に移ってからというもの、ずっと気を張り詰めていて、絵など描く余裕がなかった。もう二度と絵が描けないような気さえしていたのだ。

だから、自分の中で、何か描きたい気持ちが溜まっていたのだと思う。

さて、マネジャーからの回答を一週間待たされて、私は「やはり再度の転部は無理なのか」と、少し諦めの境地に至った。

「もうマーケティング部に居るしかないのか」
そう諦めてみると、別の考えが湧いた。

かくなる上は、会社を辞めるか、それともここに留まるかだ。

会社を辞めるのは、「論外」というほどではないが、とにかく先立つものに不自由する。ハローワーク通いも良いだろうが、次の職場を見つけられるまで貯金が持つかどうか怪しい。金銭的な理由のため、自分の気持ち的に、さらに落ち込む可能性もある。

ではマーケティング部での仕事を続けるとして…
絵が描けないとか、同人誌の原稿が進まないとか、気晴らしができないとか。
そういったことは、自分で解決すべき問題なのだ。マネジャーに言って何かどうかできる問題ではない。

私は、通勤電車の中で座っている間、ノートを広げてネームを作ってみた。

できた。

少なくとも、某路線の電車の中で座っていられる20分の間、描ける時間はフルに使えることがわかった。

こうして、個人的な問題が一つクリアできると、次々に問題が片付いてきた。
マーケティング部の仕事にも、少し慣れてきた。

そして、木曜日。マネジャーが再び面談してくれた。
彼女の上司と、業務部のマネジャーと業務部の上司、その三者に話をつけるために手間取ったのだそうだ。

彼女からの回答は、こうだ。
「業務部に戻りたいなら他部署に話をつけて調整する事ができる。
マーケティング部内に留まるならアナタがやりやすいような仕事を創る」

私は、こんなに有能かつ部下の希望を聞いて動いてくれる上司に出会ったことはない。初めてかも知れない。

彼女の下でなら、これからも頑張れそうな気がした。
「私はマーケティング部に骨を埋めようと思います。」

私はマネジャーに向かってそう言った。
というわけで、私はいまココにいる。

何か事を起こそうとするとき、頼るべきは人だ。
問題にぶち当たったとき、問題の原因になるのは人付き合いかも知れないが、問題解決の糸口を与えてくれるのも、また人だ。

人の中に生きるかぎり、人と付き合わないわけにはいかない。
けれども、問題に立ち向かうとき、自分自身が前向きに努力するならば、きっと誰かが助けてくれる。

だから、人付き合いは、意外に面白い。

マーケティング部に移って、いろいろなことを学んだが、また一つ学んだ気がした次第である。

マザラン枢機卿どの!

 先月、社内でマーケティング部のマネジャーの面接を受け、今月からマーケティング部の所属になった。
 そして三週間が経った。

 業務部の仕事が嫌だったわけではない。
 いや、思い返せば嫌なことは少々あったのだけれども、まあ普通に仕事を続けていけるレベルだった。

 業務部の仕事は撮影と査定だった。
 撮影班では、私はだいたい靴の撮影をさせられた。
 サンダルやパンプスは楽なのだが、ブーツは面倒で時間がかかるし、男物の靴は重くて嫌だった。

 査定班での仕事は、嫌いではなかった。
 けれども査定の仕事では、触る品物は全てお客様の物だ。
 汚してはいけない。壊してはいけない。もちろん紛失してもいけない。
 しかし、最初から汚れたものを送ってよこすお客様もいる。
 壊れたものを送ってよこすお客様もいる。
 買い取りできないものばかり送ってよこすお客様もいる。

 そんなことは我慢できるとしても。

 査定の仕事にとりかかる前に自分の席まで重い段ボール箱を運ばなくてはならない。
 査定が終わったら再び段ボール箱を運ばなくてはならない。
 これが結構こたえた。
 これで腰を痛めた友人が何人もいる。私自身、幾度も指を捻挫している。

 また、個人的なことだが、私は非常な暑がりだ。
 そして、査定の仕事をする部屋は、あまり冷房が効かない。
 夏は――というか初夏から秋にかけては――朝から汗だくだ。
 とくに、コートや革ジャン、男物のスーツといった重アパレルや、重い鞄などを査定すると、腕は疲れるし汗びっしょりになるしで、辛かった。

 とにかく、そんなこんなで、業務部の仕事が少々嫌になってしまった。
 だから、試みにマーケティング部の面接を受けた。
 そして面接に合格したので、今は私はマーケティング部にいる。

 マーケティング部に転部したはいいが、会社の中では最低ランクに逆戻りだ。
 せっかく時給が上がったところだったのに、時給は最低ランクに戻った。
 懐が寂しくなり、常にお金がない状態になった。

 業務部ではあと一歩で最高ランクに昇進できたのだが、マーケティング部では新人と同じ扱いだ。
 一から仕事を習わなくてはならない。
 屈辱的とまでは言わないが、小学校一年生に戻ったような気分だ。

 そして、マーケティング部の仕事は複雑怪奇だった。
 とくに、PCに多少詳しい者でなくては絶対に研修について行けない感じだ。
 頭が痛くなった。

 そういうわけで、めでたく転部できたのは良いのだが、問題がなくなったわけではない。
 お金がなくて、プライドがズタズタにされて、頭が痛くなるのである。
 仕事上、人と絡む部分が多いので、神経も使う。

 研修は二週間で終わったのだが、実戦に投入されてからも、何か曰く言い難い不快さは残っている。

 私はマーケティング部の仕事に向いていないのかもしれない。

 いや、業務部に比べれば天国のように体は楽なのだ。
 業務部に比べれば「え?これが仕事?」と思うほど仕事は簡単なのだ。
 けれども。
 何となく不安で、苦しいのだ。

 多分、あと二週間も経てば、もう少し慣れて不安も少なくなるだろう。
 そうは思っても、やはり今は不安なのだ。非常に不安なのだ。

 さて。
 私は持ち前の性格のせいか、なかなか気分転換ができない。

 近所に買い物に行っても、図書館に行っても、凝った料理を作っても、気持ちが切り替わらない。
 心の中では会社のことを思い出して憂鬱になる。
 PCに向かい、原稿など書いていても気分転換にはならない。
 むしろ、会社のことを思い出すと原稿が手に付かなくなって、最悪だ。

 昨日たまたま、SNSを見ていて、ある展覧会の記事に遭遇した。
 すでに夕刻だったが、着の身着のままコートをひっかけて外出し、その展覧会を見に行った。

 入場無料の展覧会だが、展示内容が特殊であるせいか、人気はなく、ゆっくり見られた。
 それは、フロンドの乱の頃――ルイ十四世の即位直後の頃に起きた6年にわたる内乱の時期だが――に、フランスで出版された本などを紹介し展示する展覧会だった。場所は駒場だ。

 展示は非常に面白かった。
 いや、興味のない人にとってはどうでもいいものなのだろうが、私にとっては非常に興味深かった。

 静かな展示会場に流れるバロック音楽。
 心が和んだ。
 仕事のことは忘れられないが、何かが、どうでもよくなった。

 私は昔、16世紀~17世紀のフランスに関して学び研究し、本を読みまくった時期がある。
 そうした過去が全て思い起こされた。
 いろいろな理由があって研究者になる道からはドロップアウトしたのだが、今でもフランス文学やフランス語は好きだ。

 論語に言う「学んで時に習う、亦よろこばしからずや」とは、こういうコトなのかな、と思った次第である。
 

 以上のようなわけで、見てきた展覧会のチラシがこちらです。


東西の「女王」

巷ではどうだか知らないが、私の周辺では『真田丸』が流行っている。少なくともツイッター上では大流行りである。

その『真田丸』の登場人物の一人、「茶々」こと淀君を見ていて、ふと気づいた。
茶々って、誰かに似ている。いや竹内結子がではなくて、歴史上の人物「淀君」が、もう一人の歴史上の人物に似ている、ということなのだが――

考えていて、昨日ようやく思い出した。淀君は、クレオパトラ、古代エジプト三千年の歴史に幕を引いた最後の女王クレオパトラ七世に似ているのだ。

クレオパトラが古代エジプトの女王なら、淀君もまた大阪城の女主人だ。
女王同士、似ているのは当然かも知れない。

クレオパトラはプトレマイオス十二世の長女として生まれた。いっぽう淀君――茶々は浅井長政の長女、大名の姫君として生まれた。

クレオパトラは七歳年下の弟であるプトレマイオス十三世の妻になっている。(後に、もう一人の弟プトレマイオス十四世の妻になった。)この辺は古代エジプトという国柄と時代のせいなので致し方ない。

両者が似ているのはこの後だ。
クレオパトラはローマ帝国の将軍カエサルの愛人になった。そして茶々は豊臣秀吉の側室になっている。自ら望んだことかどうかはともかくとして、いずれも当代随一の英雄の愛人になっているわけだ。

クレオパトラの妹のアルシノエ四世は、プトレマイオス十三世の政治の道具にされてアレクサンドリアの女王となり、クレオパトラと敵対した。いっぽう茶々の妹のお江(お江与)は徳川二代将軍秀忠の妻になっている。

クレオパトラはエジプトの女王として返り咲いたのちアルシノエ四世を処刑した。かたや日本では、お江与の舅である徳川家康が大坂の陣で豊臣家を滅ぼし、茶々は大阪城を枕に自害して果てている。
どちらが勝ったか負けたかはともかくとして、いずれも姉妹同士で敵味方になったわけだ。

クレオパトラはカエサルの死後も息子のカエサリオン(プトレマイオス十五世)を擁して守り通した。いっぽう茶々も豊臣秀吉の息子秀頼を守って運命を共にしている。

いずれも「姫君」として生まれた人である。国や政治の犠牲になって、あるいは自ら進んで政治の駒となって運命に翻弄されるのは、世の常かも知れない。

けれども、「淀君って誰かに似てるなあ。誰だろう」と考えて、フッと「クレオパトラ七世」が思い浮かんだ。そのあたり、やはり両者は姫君だという以上に、もっと他に何らかの共通点があったような気がしてならないのだが、いかがだろう。

Pharaohs_Cleopatra_b.jpg
プロフィール

Templeton

Author:Templeton
ペンネーム:高杉ナツメ。

大学ではフランス文学を専攻、
サークル活動は漫画研究会に
所属していた。

漫画と古代エジプトを愛する。

同人誌即売会には、
サークル名「Studio KODAI」
(スタジオコダイ)で出店。

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